13/08/12 21:44:16.23 0
>>1の続き
私たちの部隊は厳しい戦線にいましたから、いつも慰安所で遊べるような
境遇ではありませんでした。ですから、慰安所に行ける時には皆こぞって行ったものです。
慰安所には女性たちの写真が並んでいて、写真の裏には、「一重丸」「二重丸」「三重丸」が書いてありました。
それは慰安婦たちの値段なのです。“これは美人だ”と思ってめくると必ず三重丸が書いてある。
それだけ人気なんですね。ですが、私などはそうした機会はめったにありませんでしたから、気に入った三重丸の
慰安婦を指名したものです。うろ覚えですが、1円か2円くらいのカネを払ったように記憶しています。
慰安婦といえば、私はむしろアメリカ兵のことを思い出します。私は南大東島で終戦を迎えましたが、
上官は、なかなか部下に敗戦したと言わない。もし事実が伝われば、それまで
私的制裁をしてきた仕返しをされるかもしれませんし、何が起きるかわからないからでしょう。
敗戦直後、軍の中で、どうも何か変だという話が広がってくると、上官が突然「停戦合意ができた」と言う。
はあ、戦争は終わったのかと思っていると、米軍が飛行機で降りてきて、身体検査をされて武装解除される。
そのあたりでようやく、どうやらこの戦争は負けたらしいと気付いたわけです。
で、アメリカ軍がやって来て最初に言った言葉が「慰安所はどこにある」でしたから。
ははあ、アメリカさんはずいぶん助平なもんだと思ったものです。
そして、慰安所の女性をみんな連れて沖縄に飛んで行ってしまいましたよ。
●レポート/ベンジャミン・フルフォード(ジャーナリスト)
※SAPIO2013年9月号