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慰安婦問題を考える
URLリンク(sikoken.blog.shinobi.jp)
李用女(イ・ヨンニョ)
1926年京畿道驪州(ヨジュ)生まれ。家が非常に貧しく8歳から奉公に出る。
11歳の時、一家でソウルに上京し14歳で父親に飲み屋に売られる。
その後、1942年、満16歳の時、その飲み屋の女主人に
「金をたくさん稼げるところがあるから行かないか」と言われ承諾し、
以降、ビルマ(現ミャンマー)のラングーンで慰安婦生活を【強いられる】。
ラングーンへは朝鮮人の男性と女性の何人かが引率。
<参考>東亜日報1933年5月5日(朝鮮の人身売買350円=現在の25万円?)
「市内に住む呉某氏は、「漢南楼」という商号で娼妓していたが、朴*南という16歳の少女を350円で買い、
年齢不足で売春婦が出来ないため、
兄弟の戸籍を使って営業許可を得ようとしていたことが発覚。
昭和8年 企業物価指数 0.951
現在の物価/1933年当時の物価 = 709倍