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「両親が早くに亡くなり、被爆した町名が分からない」「途方に暮れています」--。原爆に遭いながら被爆者健康手帳を持たない韓国人54人が、
手帳の交付を求める陳述書をつづり、韓国原爆被害者協会に寄せていたことが分かった。陳述書を入手し、支援を続ける広島市出身の
河井章子さん(56)=千葉県流山市=は「行政は高齢の当事者に詳しい立証を強いるのでなく、申請内容を裏付ける支援に転換してほしい」と話す。
陳述書は韓国原爆被害者協会が2011年に募集した。54人の年齢はさまざまで、遺族が寄せたケースもある。大半が直接被爆だが、
在外被爆者ではほとんど例のない、負傷した被爆者の手当てをしたことによる「救護被爆」を訴える男性も。被爆状況の陳述以外に、
原爆投下から65年以上がたち被爆状況を証明することが難しいと訴える陳述も目立つ。
韓国慶尚南道・昌原市のマンションに住む金雙雄(キムサンウン)さん(72)も陳述書を寄せた一人。
陳述書では「5歳(実際は4歳)で何を覚えているでしょう」としたうえで、姉と弟と広島市の蟹屋町で遊んでいたら
大きな音がして屋根が崩れ落ち、腕や足に血が流れていたというわずかな記憶を記した。
河井さんは今年5月、金さんを尋ね、被爆の事実につながる手がかりを求めて次々と質問した。
「日本名は?」「まーちゃん」「被爆後どうしましたか?」「小さなガス灯を持って防空壕(ごう)に入った」--。
毎日新聞 8月6日(火)8時52分配信
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
(続)