13/08/03 23:21:14.00 2PhMMStR0
>>480
以下のソースによると韓国原爆被害者援護協会が1972年に発表した数字とのこと
>広島で5万人、長崎2万人の計7万人が被爆し、4万人が死亡。日本に残った者を除く、2万3000人が韓国に戻ったとみる。
URLリンク(www.hiroshimapeacemedia.jp)
1944年時点での内務省警保局の資料では、広島県8万1863人(うち徴用など強制移入者5944人)、
長崎県5万9573人(同2万474人)の朝鮮人が居たとされてる、戦時特別労務動員があったからだろう
一見すると無茶苦茶な数字ってわけでもないみたいだ
日本の壮年男性は戦争に行ってて労務需給は逼迫、工場は女性子供も含めても常に労働力不足だった
大半は大きな造船所などのあった広島市・長崎市に居たのは推測できるが、ただ広島県には呉、長崎県には佐世保にも
海軍工廠があったので、そちらにも動員かかってるはずので正確な推測は難しい
1979年の広島市・長崎市両市の調査では、朝鮮人被爆者数は広島で2万5000~2万8000人、
長崎で1万1500~1万2000人と推測されてるとのこと