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★812~906年 【新羅の入寇】
・新羅はたびたび日本の対馬や北九州などを侵略。
・894年には2500人もの大軍が対馬を襲撃。
★1274年 【文永の役(第一回元寇)】
・高麗の忠烈王は、協力するから一緒に日本を侵略しようと進言。(高麗史)日本遠征のために戦艦数百艘を準備。
・5000名以上の軍勢をもって、元とともに日本侵略。
・主に対馬や壱岐で略奪の限りを尽くし、誘拐した多くの女性の手に穴をあけて吊るし、船壁に晒すなどの辱めを行ったとされる。
★1281年 【弘安の役(第二回元寇)】
・東路軍司令官には高麗人の洪茶丘が充てられた。約10000名以上の高麗人が元軍として参加。
・高麗軍司令官の金方慶はフビライの通達(民間人を殺傷するな)を無視、大勢の日本民間人を虐殺した。(八幡ノ蒙古記等)
★1419年 【応永の外寇】
・朝鮮が17000名以上もの大群をもって対馬を侵略、多くの民家を焼き払い日本人を虐殺。
高麗棒子は、過去の日本侵略を謝罪してください。