13/07/20 04:38:16.00 jF7p6GBX0
≪終戦当時、国内には200万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、昭和18年に13万5千人、48都道府県の7%強を占め、大阪、東京につぐ3位という勢力をもっていた。
三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。≫
戦後の一時期、日本はこのような状態だったのである。一説によると、この時の三国人愚連隊が勢力を拡大して今日の「広域暴力団」になったともいう。現在の暴力団組長に朝鮮人が多い理由としては納得できる説である。