13/07/10 08:19:54.37 U6yDv82n0
>>600
赤軍派は正式名称を「共産主義青年同盟赤軍派」と言い,テロの中でも最も過激な活動を展開していた.
日本のテロ組織は,1960年代に勃発した学園紛争の終結によって誕生したが,赤軍派も同様に1969年,早急に武装蜂起する必要があるとして,共産党戦旗派(武戦路線派)から分派.
結成当初の勢力は,京大,同志社大,立命館大など関西の大学生を中心に300~400人.その中には高校生も約90人含まれていた.
結成後すぐに彼らは,大阪・阿倍野派出所など交番3ヶ所に火炎瓶を投げつけたり,神田・本郷一帯で同時多発ゲリラ闘争を展開.
同年10月には鉄パイプ爆弾で新宿駅を襲撃,また,中野坂上でピース缶爆弾によってパトカーを襲撃した.
しかし11月,首相官邸や警視庁を襲撃するための軍事訓練を行おうとした山梨県塩山市で50人以上が逮捕.
翌70年3月には最高幹部,塩見孝也が逮捕さる.
塩見は京大生.逮捕当時,彼の手帳には「H・J」の文字があったが,公安警察はこれがハイジャックを意味するとは気付かず,1970/3/31の「よど号」事件発生を阻止できずに終わる.
赤軍派テロリスト9人は羽田発福岡行きの日本航空351便「よど号」を乗っ取る.目的は北韓(北朝鮮)への亡命.北韓で軍事訓練を積んだ後,日本へ戻って武装闘争しようと目論んでいた.
しかし組織のほうは,大量逮捕をきっかけに衰退,一部はレバノンへ渡って日本赤軍となり,一部は連合赤軍を結成して「あさま山荘」事件など起こし,
ダメっぷりを世間に露呈して凋落に拍車をかけることに.
塩見は19年9ヵ月の刑期を終え,出所.
よど号犯達は現地で病死したり,逮捕されるなどして,現在4名が北韓に残存.「刑事訴追なき帰国」を要求している.甘ったれは治っていないようだ.
なお,彼らや「よど号妻」は,日本人拉致事件に関わった疑いが非常に濃厚である.