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「春から関西におるんです。久々に一杯どうですか」と彼から電話があり、
「えっ」と思った。彼は米軍岩国基地の軍用機の飛行を見張る
市民団体の中心で、向こうになくてはならない人だからだ。
付き合いは10年になる。米軍機は中国地方の空を日米合意にお構いなく
飛び回り、低空飛行の衝撃波で山村の家を壊すことさえあった。そんな一報は、
地域住民と結んで動く彼からもたらされた。
今も監視が必要な状況は変わらない。しかし、なぜ自ら意義を信じ、
周囲からも信頼されていた居場所を離れたのか。
聞いていてつらかった。3年前に体調を崩し、活動を休むとともに
最低限の暮らしの支えだった仕事を辞めた。療養中は生活保護を受けたが、
その最中に妹が病死し、ろくな葬式を出してやれなかった。妹が1人で
育てていた姪(めい)は泣き、「これ以上、無理が多い人生は送れないと思った」という。
それで病気が一段落した後、職を求めて関西へ来た。
活動は引き継いできたらしいが、彼の存在は重かった。
私たちは社会に潜む問題を知る目や触角の一つを失ったとも言える。
心底から惜しいと思う。
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