13/06/27 01:09:23.89 YTCTG8HZ0
>>490
19人の供養塔は妙法寺にありますが
残りは、近隣の蓮花寺にあるかもしれません。
私の調査では無かったので、うっかり忘れられたのかもw
近代以前、川崎にあたる地域の水を担っていたのが、
現在では汚いドブである二ヶ領用水であります。
汚いドブとはいえ、かつての川崎市域の人々には生命線で、
稲田堤付近で多摩川から取水された水は、現在の川崎市域を縦貫し、
飲み水や灌漑用水として、遠く大師河原まで流れていました。
文政4(1821)年、この年は春から雨が少なく、夏には大旱魃となりました。
用水下流の大師河原周辺は、途中で上流の村々に水を取られてしまううえに、
河口近くのため、川の水を利用することもできず、いっそう旱魃にあえいでいました。
困窮した下流の人々は、せめて数日間、久地の樋を止めて
乾ききった大師河原周辺に水を流してくれ、と願い出ました。
こればかりは水役人も道理を認め、一時的な樋の停止が決められたのです。
こうして水が流れるはずでした。ところが、いっこうに水が流れてきません。
手を尽くし調べてみると、溝ノ口と久地の名主がこっそり堰をふさぎ、
用水の下流への分配を邪魔していることがわかりました。
怒ったのは大師河原周辺、下流19ケ村です。卑怯な行いに
その日のうちに溝ノ口村と久地村に対する打ち壊しが決定され、
筵旗と高張提灯を掲げ、遠く大師河原から数万名が押し寄せました。
溝ノ口と久地の名主宅は打ち壊され、つのる宿怨を晴らしたのであります。
この争いを溝ノ口水騒動といい、川崎市域最大の民衆蜂起でもあります。
思えば、川崎市北部民と南部民の仲の悪さは、このような先祖代々
水利権で争ってきた伝統を引き継いでいる、とも言えましょうw
近隣住民としては他人事ですので、貴重な娯楽として楽しんでおりますw