13/06/15 22:03:28.26 Yixd7LTJ0
>>1~
ただ、やはり、最悪のことを想定すれば、大変危険過ぎて、恐ろし過ぎるニダ・・・・・・。(下記URL=【水俣病】番組)
(>>203続き)
1946年:日本窒素が アセトアルデヒド、酢酸工場の 排水を 無処理で 水俣湾へ排出。
1949年頃:水俣湾で タイ、エビ、イワシ、タコなど が獲れなくなる。
1952年:熊本県 水俣で 最も早期の 認定胎児性患者が 出生。 ただし 認定は 20年後。
1953年:熊本県水俣湾で 魚が浮上し、ネコの狂死が 相次ぐ。 以後、急増。
1954年:8月1日付 熊本 日日新聞で、ネコの 狂死を 初報道。
1961年:水俣市で 女児(3歳)死亡。病理解剖で 胎児性 水俣病と 確認。
1962年:水俣病 審査会、脳性小児マヒ患者 16人を 胎児性 水俣病と 認定。
1963年:熊本大学が 水俣病の原因は メチル水銀 化合物で、
これは 水俣湾内の 貝や 新日本窒素工場の 汚泥から 抽出されたと 公式発表。
1965年、新潟大学は、新潟県 阿賀野川流域において 有機水銀中毒と見られる 患者が
発生していると発表した。 これはのちに 新潟 水俣病 あるいは 第二 水俣病と 呼ばれるようになる。
▲▲ ※※↓視聴注意!!!!!・・・・・↓恐ろしい 重症・患者さん達の動画、心臓の弱い人は、(絶対)見ない方がいいニダ!!!
【その時、歴史が動いた】 ― 「わが会社に 非あり~【水俣病】と向き合った 医師の葛藤~」 (1)
URLリンク(www.youtube.com)
↑在日同胞スパイ工作報道機関=【NHK】は、↑"外国"の惨状だと 思いっきり叩けても
祖国の危険な実態は いつもの様にスルー報道する気ニカ??