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>>838の続き
【1274年10月(文永11年)】
忻都、金方慶らに率いられた、高麗人・モンゴル人数万人が朝鮮の月浦(現在の馬山)
を出発。10月5日に対馬を、10月14日には壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の
本拠を全滅させた。
【1281年(弘安4年)】
高麗軍を主力とした東路軍四万と、旧南宋軍を主力とした江南軍十万、計14万の軍
が日本を侵略。
【1419年(応永26年】
朝鮮が、日本領=対馬を、倭寇征伐の名目で侵略する。朝鮮では己亥東征という。
太宗は「倭寇の根拠地は対馬だ」と言いがかりをつけ、対馬を侵略した。
これにより6月19日、李従茂指揮の227隻、1万7258人からなる船隊が、
朝鮮の巨済島から対馬にむかい、翌20日に対馬浅茅湾の土寄崎に停泊。
当初、朝鮮軍は対馬の民家1939戸を焼き、多数の日本人住民を虐殺した。
しかし、同年26日に仁位郡に進攻した頃から対馬の伏兵に反撃され、朝鮮軍は
2500余人の損害を出した。そして、宗貞盛の撤兵要求を受け入れて7月3日に巨済島に引き揚げた。
最早鮮寇と呼ぶべき侵略数だろう。