13/06/07 12:26:19.48 EPeDSh090
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0とは、ゼロと看做す という内容を持つ手続きと定義する。
面積0の○を0と看做す。
これが円の0。
境界の中心を太さ0の|と看做して
二本の境界が交わる点を0と看做したのが線の0。
0_線:= [0と看做す[0と看做す]][世界] 0_imaginary rank1
0_円:= [0と看做す][世界] 0_imaginary rank2
0_なんか:= [0と看做す[0と看做す]…^k回][世界] 0_imaginary rankk
このいくつかの(最低二つ)の0が現実に混在しています。
そして、そもそも○はありますが、0は現実にはありません。
0_imaginary rank1 と 0_imaginary rank2 だけがあり、
そもそも看做すとは仮想で頭の中だけにあるからです。
このds(スケールによって大きさが異なる微小)を、
スケールフリーである普遍形式でだけ扱うという手続きをもって ds_scaleφi=ds_scaleφj
として扱ってしまうからおかしくなるんだと思い中。
その前提で0消した式しか今の算数って使って無いんだろうと思います。
(ついでにゼロの決め方以外の普遍は無視気味?)
つまり、写真で見た微小の○は、近づいてみると無視できませんから。
遠くで見て滑らかな直線近似の稜線は、その場では高さ3mの階段で
人間スケール向きにならない所はありえます。