13/06/06 01:03:22.91 Nwvbh4o2P
>>214
>>175>>180>>184>>186>>199のとおり強制連行はあった。
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(5)慰安婦供出割り当て これも強制の一種
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スハルティさんは1944年、東ジャワ州クデイリのカンプン・ンドゥウェットの町役場に集められた。
その時、日本軍はボルネオ(現在のカリマンタン島)で働かせる15歳以上の女性を探していた。
選ばれた少女とその親たちは町役場から呼び出しを受けた。スハルティさんの両親もその中に入っていた。
村長は父親に「(ボルネオに行けば)スハルティさんを学校に通わせてやる」と言った。
はじめ、その父親は「スハルティは学校になど通ったことがないから」と申し出を断ったが、
町長は「それなら仕事をやろう」と言った。村長はなおも娘を手放すよう迫った。
町役場は各村から少女を供出するよう割り当てを受けていたのだった。
当時スハルティさんは15歳だった。
異なる村から彼女と3人の少女が選ばれ、日本軍のために働くことになった。
東ジャワのスラバヤから木造の船で、ボルネオに到着すると、木造の日本式住宅に連れて行かれた。
中には30の部屋が向かい合って設けられていた。
そこで、スハルティさんは民間の日本人と軍関係者のために、昼も夜も「慰安婦」として働かされた。
名前も日本風に「みき」と変えられた。労働に対する報酬を得ることはなかった。
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