13/05/23 00:37:24.17 t5Gyf1sd0
>>1
1965年 朴正熙政権時、韓国政府は援助金目当てに31万人を派兵。
「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」をスローガンの下、
ベトナム特需から三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生。
1965~ プウエン省のタオ村で、韓国軍は大部分が婦人の村人42人に
1966年 小火器を浴びせ全員を殺害。
1965年12月~ 韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、
1966年1月 一方キンタイ村を完全に掃討。
同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用。
1966年1月1日~ ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、
1月4日 住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。
また仏教寺院から数トンもの貨幣を盗み、人民を殺害。
ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺害。
アンヤン省の三つの村で110人を、またポカン村では32人以上をナパームとガスで殺害。