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"女性たちを強姦した後、殺害"
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、
できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる.
前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索,
破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた.
筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、
負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する.
1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、
“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”というスローガンの下、
捜索掃討作戦を繰広げた. 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供,
22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.
"… などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました.
彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててありました.
妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました.
韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して,
子供の頭を切り取って地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.
彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、
樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました. そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"
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>>続く