13/05/17 12:51:57.77 yb6ZVLDhO
中国網は29日、同パレード(柵封使行列)について報じた際、
「琉球王国は昔、中国の冊封国で、明治維新の末期(中国の清時代の末期)に、日本の武力に併合された」と報じた。
これは真っ赤な嘘だ!
薩摩藩が琉球王国に軍事行動(琉球征伐)をしたのは、1609年だ。(近代国際法ができる前。)
それ以後、琉球王国は、薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣するようになった。
明治維新の末期に、日本が琉球王国に武力行使した事実はない。
明治維新の末期に日本が琉球王国に行ったのは、1871年の廃藩置県だ。
「中国網」の報道は、悪意を持った虚偽報道だ。
それと、「中国網」は「琉球王国は昔、中国の冊封国で、…」と述べているが、支那の冊封国は飽くまで冊封国であって、支那領ではない。
冊封国が支那領になるなら、朝鮮やベトナムなど、支那の周辺諸国は全て支那領になってしまう。
しかも、琉球王国は、支那に対して、朝鮮王国などより高い地位にあり、支那に実効支配はされていなかった。
一方、朝鮮は、支那の属国の中でも琉球よりもかなり低い地位で、まさに実効支配された属藩だった。
―――――
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
■黄文雄著『韓国は日本人が作った』