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●1939年ノモンハン事件(国境紛争) ソ連軍23万人 VS 日本軍3万人
ソ連崩壊後、明らかにされたソ連記録文書により世界の軍事学者に周知の事実に
ソ連の死傷者 25,565人 日本の死傷者 17,405人
ソ連の戦車損害 800台以上 日本の戦車損害 29台
ソ連の航空機損害 1,673機 日本の航空機損害 179機
当時のソ連軍「近代的機械化部隊」は真っ赤なウソも次々と記録文書で明らかに
・戦車は、走行中に射撃もできない水準で、戦車戦では全く問題にならず、日本軍の
速射砲・高射砲に多くが餌食となり、ソ連戦車は約800台が破壊された。日本の戦車
損害は29台だった。日本が捕獲したソ連戦車は240台にのぼった。
・初めての大規模な航空戦になり、ソ連の主力戦闘機「イ15・16」は、一部が布張り飛
行機を投入、日本の九七式戦闘機の前に太刀打ちできなかった。ソ連の主力戦闘機は
1,673機の損害を出していた。日本は179機の損害。
ソ連は、虎の子30万人機甲化軍団が、わずか3万の日本の兵力で粉砕されたことを知
りスターリンは、慌ててリッペントロップを通じてヒットラーに停戦の仲介を頼み込んだこと
で有名になった。満州だけに戦力を留めたい不拡大方針を取りたい日本軍中央は、国境
紛争として停戦協定を納めた。
ところで、ソ連はノモンハン事件がキッカケとなり、新設計による革新的な戦車が誕生した。
逆に日本では戦車は役に立たないという考えが、その後に皮肉な結果を生む。また、ドイ
ツではソ連戦車は張りぼて認識が生まれて、それが後にロシア戦線でソ連の新型戦車に
手痛い目に合うという皮肉も生んだ。