【国防軍】元毎日新聞記者の板垣英憲氏「日本には、いわゆるネット右翼を名乗る勇ましい若者たちが沢山いるので、人材には困らない」★2at NEWSPLUS
【国防軍】元毎日新聞記者の板垣英憲氏「日本には、いわゆるネット右翼を名乗る勇ましい若者たちが沢山いるので、人材には困らない」★2 - 暇つぶし2ch491:名無しさん@13周年
13/04/18 20:27:33.23 +7CCUMZ50
またしてもネトウヨの捏造w 反日教育をしてるのは特アだけじゃなかった

インドネシアの高等学校で使われている歴史教科書の一部を翻訳し、内容を紹介いたします。メダンのGramedia(大手書店チェーン)
で購入したもの。記述の対象となる時期は、1942年の日本軍による占領時代開始から現在まで。高校3年生向け。

日本占領時期は、それが短い期間しか続かなかったとは言え、最悪の植民地支配の時代だった。その時代、天然資源や人的な
資源に対して異常な収奪が発生した。

b. 農業とプランテーション

戦争が激しさを増すにつれて、必需品や食料に対する収奪はエスカレートしていった。日本は、ジャワ奉公会・農業組合
(農業の協力組織)・その他政府諸機関を通じて、物資と食料の動員キャンペーンを大規模に促進させた。
この方針はジャワでの食糧不足の状態をますます悪化させた。多くの地域で飢饉が発生した。人々はありあわせの食料で生き延びた。
例えば、バナナの木のこぶ[*2]、カタツムリ、栄養価の低い芋類を食べた。国民の体力は急激に低下し、その結果、脚気やペストなどの
伝染病にかかりやすくなった。国民の苦しみはますます酷くなり、死亡率は急上昇した。人口の増加数もまた減少したのだ。

3. 労働者の動員

インドネシアでの日本による搾取は天然資源に対してだけではなく、人的資源に対しても行われた。飛行場、港、
仮設道路、兵器庫、地下避難通路、防御陣地などの国防施設や社会基盤を建設するための労力が必要とされた。

労務者の動員はしばしば非人間的なものだった。労働環境は劣悪だった。重労働であり、食料は十分に与えられず、
衛生状態も不適切だった。そして厳重な監視下の元、休息時間は短く、ミスは重く罰せられた。多くの労務者たちが、
ビルマ、マラヤ、サラワク、ベトナム、ソロモン諸島などの海外へ送られていった。その多くが、送られた先で死亡した。
また、武器庫など軍設備といった機密設備の建設任務についた場合、機密保持のため完成後殺される危険に曝された。
推定では、300,000の労務者がジャワ島外へ送られ、70,000が悲惨な状態にあった。

URLリンク(www.geocities.jp)
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