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489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 17:47:24
雅子が皇太子妃になるのは雅子が小学生のころから決まっていた
小和田が福田元首相の秘書だった頃の話だが
福田が正月休みにゴルフをするために、ある地方都市に小和田家族と毎年
きていたが、雅子は将来の皇后になる人だからと回りに言っていた。
こんなに色黒で気が強くておてんばな小学生がお妃になるのだろうかと思っていたが
本当にお妃になったのには驚いた。
父子二代「二年首相」 渡部亮次郎 2007・09・08(抜粋)
赳夫氏が事務秘書官として最後まで使ったのは小和田亘(おわだ ひさし)氏である。
1971年、佐藤栄作内閣の外務大臣になったとき、外務省から秘書官として転出された
のが小和田氏。ご存知雅子妃のお父上である。現在国際司法裁判所判事。
赳夫氏が総理大臣になったときも、外務担当の秘書官は当然、小和田氏となった。
当時の小和田氏は宮内庁御用掛から東大教養部の講師に出ていたが、雅子様は往夫氏の
家族と交流していて、康夫氏の家族は知らない。
URLリンク(blog.kajika.net)
なので、小学校のときに雅子と福田が知り合いだったとすれば、佐藤内閣で
福田赳夫が外務大臣のときのことだろう。(小和田氏は外務大臣秘書官)
また、宮内庁御用掛をしていたというのは、同じく1971年、昭和天皇が
イギリス・オランダに行ったときに通訳として同行していたことを指すのだろう。
1975年のアメリカ行きにも小和田氏は同行している。