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伝説の国士舘VS朝鮮学校は国士舘の圧勝
昭和の一時期、朝鮮学校と対等に戦えるのは、国士舘高校だけだった。
朝鮮といえば、昭和50年代の学生同士の抗争は凄まじかった。
関東人なので関東のことしかわからないが、おそらく昭和50年代中頃は絶対あちら側が勝っていた。
なぜなら、ワルの数が違ったからだ。
とりわけ十条、横浜がメッカとなり、立川、相模原その他に朝鮮中学、高校があった(今でもあると思うが)。
そんななか、当時の情報では朝高(チョンコウ)のワルに言わせると、どこも眼中になかったそうだが
国士舘(通称“士舘”)だけは一目置いていたらしい。
そりゃそうだ。確か、士舘と朝高の抗争事件は、毎日のように三面記事を飾っていた記憶がある。
京王線明大前駅構内で、士舘生と朝高がタイマンをはり、士舘生は持っていた傘で相手の目を突き刺し勝利した。
ちょうど国士舘の文化祭の時、横浜朝高の生徒二人とその先生が士舘の生徒のバッジを取り上げたとかで謝罪に来たそうだ。
正門には日章旗を掲げた学生の長ラン(長いガクラン)がずらりと並び、中庭でも長ランの学生が焼きそばを作っている。
そんな中に現れた彼らは、顔面蒼白で死ぬほどビビっていたのが見てとれたと聞く。
後日、朝高側でもその時の様子が校内で有名な噂話しになり、『やっぱ士舘は違うなぁ』となったらしい。 ホントの話し。
ちなみに、出版された「アウトロー伝説/1970~80年代暴力の裏面史・昭和を駆け抜けたアウトロー」にもさまざまな真実が紹介されている。
また、日体荏原、帝京あたりも仲間だったと思う。国士舘&帝京VS朝高は、その時代を知る人なら常識だ。
さらに、これはかなりコアな話ではあるが、士舘生のなかでも特にツワモノ達は白ラン(長いだけでなく
さらに白いガクラン)を着用していた。その白ラン者だけを集めた、新しい高校が新設されるというのだ。
もちろん、VS朝高が目的とされ、その名も“大和高校”と称し立川か八王子に出来るという噂が飛び交った。
実現していたらどうなっていただろうと、今さらながらに考える。