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1961年、朴政権が統一協会を反共活動の面で利用するようになる。
1963年、統一協会が韓国で財団として認可される。
1963年、ソウル統一協会の宣教師崔翅翼が、文鮮明の指示で日本に密入国し、
西川勝という日本名で統一協会を発足させ原理運動の「布教」を始めた。
1963年、呼応するように笹川良一は、密入国で逮捕された崔翔翼の
身元引受人となり、統一協会顧問に就任、財界、政界、警察にわたりをつけて大々的なテコ入れをした。 、
1964年、統一協会が日本で宗教法人として認証される。
以来、統一協会は、勝共連合の実質的母体として韓国や日本の反共政治組織に
利用されるようになる。
1967.7月、笹川良一の肝入りで、韓国側文鮮明(統一協会教祖)、
劉孝之、日本側笹川良一、児玉誉士夫代理の白井為雄、市倉徳三郎らが
山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走連合会の施設に集まり、
「第一回アジア反共連盟結成準備会」が開催された。
会合の目的とされた日本における「アジア反共連盟」という名の団体の結成は、日本の旧右翼の中につよい反発があって
実現しなかったが、その後の話し合いで、日韓両国の統一協会が、「国際勝共違合」という看板を掲げ、宗教と反共団体
の二足のわらじをはくことが合意された。
日本の反共団体として活動をはじめた国際勝共違合は、APACL(アジア諸国人民反共違盟)に参加する。
東京でAPACL第八回大会がひらかれ、大会議長として岸信介、事務局長加瀬俊一(外務官僚)、
以下谷正之(同東条内閣閣僚)、石井光次郎〈自民党顧問)中曽根康弘(自民党議員)、御手洗辰堆(評論家)、
矢次一夫(国際研究会理事)、商杉普一(三菱電機会長)、堀越禎一(経団連事務局長)、椎名悦三郎(自民党議員)、
松下正寿(立大教授) 、細川隆元(評論家)、小林中(経団連理事)ら三十五名が出席、
アメリカ・マーフィ元駐日大使ら外国代表八十六名が集まった。
1968.4月、統一協会を母体として国際勝共連合が結成される。