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滋賀県の戦後史・・・終戦後大量に流れ込んだ朝鮮人1946年には3万人以上に達した。そして、朝鮮児童に学校を22校も提供させられた
◆終戦後1946年に大量に流れ込んだ朝鮮人部落児童の民族学校 滋賀県琵琶湖周辺◆
戦後、韓国から武装した「朝鮮進駐軍」と供に大量に流れ込んだ韓国朝鮮入、滋賀県
の琵琶湖周辺の朝鮮民族学校の状況
URLリンク(2ch-dc.mine.nu) <参考資料>
1945年、戦後韓国が武装した「朝鮮進駐軍」を日本に送りこみ、大量の韓国朝鮮人も供
に京都から滋賀県にも流れ込んだ。日本は「朝鮮進駐軍」に武器で脅され、侵入してき
た朝鮮民族の児童に対する朝鮮民族学校として、1946年には朝鮮民族学校が22校、
生徒1260人、侵入し来た朝鮮人教員60人と膨れあがった。これら朝鮮民族児童へ校
舎提供と教員の給与も日本政府が負担、無償提供した。次第に祖国に帰る家族や、民
族学校から日本人の学校に通う児童が増えるにしたがって、民族学校は縮小された。
また、日本人の学校に通う朝鮮民族児童には無償で教育を日本は提供させられた。
朝鮮戦争が始まったのは1950年だが、1945年~1949年の間に侵入者は200万人を越え
た。韓国が日本侵略に送り込んだ韓国朝鮮人は200万人を越え、武装した「朝鮮進駐軍」
が武力で市役所や政府関係機関を脅し、日本人の土地や学校まで略奪などやり放題だった。