13/03/21 03:00:13.94 0 BE:654783629-PLT(12069)
★主権回復の日―歴史の光と影に学ぶ
一人ひとりに忘れられない日があるように、国や社会にも記憶に刻む日がある。
たとえば、東日本大震災がおきた3月11日、阪神・淡路大震災の1月17日―。国内外に多大な犠牲をもたらした先の大戦にまつわる日も同様だ。
安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開くと決めた。
1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、連合国による日本占領は終わった。
「経験と教訓をいかし、わが国の未来を切りひらく決意を確固なものとしたい」という首相のことば自体に異論はない。
自分たちの考えで、自分たちの国があゆむ方向を決める。その尊さに、思いをいたすことは大切である。
だが、外国の支配を脱した輝きの日という視点からのみ4・28をとらえるのは疑問だ。
独立国として再出発した日本に、奄美、小笠原、沖縄はふくまれていなかった。最後に沖縄が復帰したのは72年5月15日。
それまでの間、米軍の施政権下におかれ、いまに続く基地の過重負担をもたらした。
4・28とは、沖縄を切りすてその犠牲の上に本土の繁栄が築かれた日でもある。沖縄で「屈辱の日」と呼ばれるゆえんだ。
屈辱を味わった人はほかにもいる。朝鮮・台湾の人々だ。
政府は条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で、旧植民地の出身者はすべて日本国籍を失うと定めた。
日本でくらしていた人たちも、以後、一律に「外国人」として扱われることになった。
領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。
この措置は在日の人々に対する、法律上、社会生活上の差別の源となった。
あわせて、国際社会における日本の評価と信用をおとしめる結果も招いた。(>>2-3へ続く)
asahi.com 2013年 3月 21 日(木)付
URLリンク(www.asahi.com)