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英雄広場には10万人の市民が集まっていた。オーストリアの首都ウィーン、1938年3月15日。大歓声が迎えたのは、
その3日前に国境を越えオーストリアを併合したナチス・ドイツ総統のヒトラーだった
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宮殿のバルコニーで演説したヒトラーは陶酔感に浸ったのではないか。ウィーンは青春時代、画家を目指しながら挫折し、
不遇な生活を送った都。ドイツに移って政治の道に入り、演説で頭角を表して33年に政権を獲得。独裁体制を確立しての
凱旋(がいせん)だった
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大衆の情緒的な感受性にこたえて、論点を黒白図式で単純化して示す、これを繰り返し訴え続ける、断固とした口調で
大胆に断定化する―。東北大名誉教授の宮田光雄さんは著書「ナチ・ドイツと言語」で、熱狂的な支持を集めた演説の
特徴をそうまとめた
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ヒトラーの著書「わが闘争」には〈民衆はどんな時代でも敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出す〉とある。
ウィーン時代に〈弱々しい世界市民から熱狂的な反ユダヤ主義者になった〉ヒトラーはユダヤ人大虐殺に走った
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ナチス・ドイツによる併合から75年。オーストリアの世論調査で4割以上がナチス時代を肯定的に評価し、6割以上が強い
指導者を求めている。外国人排斥の運動も根強い。翻って日本。似たような言葉が飛び交っていないか。アンテナの感度を高くしてみたい。
ソース:URLリンク(www.shinmai.co.jp)