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◆30年前の鄭周永会長の”技術盗み”
”技術を盗む”のは事実上国際的慣行だ。とても有名な国際多国籍企業たちも、今も休まず
に試みているし、経済大国の夢を見ている新興国家たちも同様だ。私たちも同じだった。
(中略・・・70年代の鄭周永さんによる現代重工業創建物語。他の財閥が引き受けない中、
造船業を引き受けた鄭周永会長。そんな中、技術力がないと気づく。1万5000トン級ぐらい
までしか作った事が無かったのに、うっかり30万トン級の受注を受けてしまったのだ。
そんな彼らが取った手段は・・・)
現代造船に必要な技術力を取り揃えてくれたのは当時世界造船業界をまさに席巻していた
日本の造船業界だった。しかし当然日本の造船業界は韓国を極度に警戒した。韓国の手
助けをすれば虎の子を飼う愚を犯す事が明白だったからだ。
(中略・・・鄭周永会長の”技術盗み”奮戦記。”芸者”とまで呼ばれた接待の達人の鄭会長。
親しかった日本のK造船会長に真心をつくし、遂にその接待術にK造船会長に「何か手伝
えることはないか」と申し出させたのである。)
この時鄭会長のした頼みは「2人だけ研修生をK造船で1年間だけ引き受けてくれないか」
というものだった。K造船会長は気経にこの頼みを聞き入れた。鄭会長の下心は確かに見
え透いていたが、巨大な造船業の実体をただ2人の研修生だけで1年以内に把握するという
ことは不可能だという判断であった。