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【イアンフ捏造の流れ】
・支那・大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が「ジューグンイアンフ」という言葉を創造、1973年「従軍慰安婦」を出版
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・1983年 「吉田清治」 が自著「私の戦争犯罪」にて「済州島でイアンフ狩りをした」と記載
89年ハングル版出版、と同時に 「青柳敦子」 が韓国で「訴訟費用は負担します」とビラ配り
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・驚いた済州島で、地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、89年8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道
(これで一旦終息、2年の空白が流れる)
・2年後の1991年8月11日、突如 「アサヒシンブン」 が、「元イアンフに聞き取り調査開始」と報道(「イアンフ捏造キャンペーン」開始)
記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた 「植村隆」 。
「青柳敦子」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」 。この後に東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述
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・翌92年1月11日、 「アサヒシンブン」 が「慰安所 軍関与示す資料」と、 「吉見義明」 の記事を報道。
(内容はというと、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった)
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・1月16日 「宮沢喜一」 訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪、
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・1月23日、またしても「 アサヒシンブン」 が、夕刊コラムで「 吉田清治」 の「私の戦争犯罪」を紹介
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・6~7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が 「吉田清治」 の捏造を看破、騒動が急速に沈静化
(が、アサヒシンブン「イアンフ捏造キャンペーン」に韓国内で反日爆発)