13/03/09 10:15:18.93 187CANgN0
地震でボロボロになり立入禁止になっていた事務本館にコッソリ忍び込んで必要書類を持ち出して
ベント実施に向けて、必要な弁を手動で開けることが出来るのか、治具を取り付けて強制開の状態に出来るのか
の検討を始めたのが12日の午前0時
12日の午前1時半に政府に対してベントの申し入れをして受理されて
線量が低くいから【現場での弁操作ができる2号機】のベントを午前3時にすることに決めたのが午前2時半
だけどベント直前の午前2時55分に、2号機はRCICが昨日していることが確認されたため、
急遽、午前3時の2号機のベントが中止になって
線量が高く【現場での弁操作が困難な1号機】のベントが最初のベントになり、
それから1号機でベント出来るのか・・の検討が始まって、
1号機のベントの場合の周辺被爆線量評価が上がったのが午前3時44分で
それから線量が高い故に、弁操作をする人員の人選・津波でモノが散乱するサービス建て屋や休憩室から、
耐火服や、セルフエアセット・APD・サーベイメーター・懐中電灯なんかを掻き集めて、
おまけにドライベントしか無理だって現場が言っているのに、本店がウエットベントを主張してグダグタして
結局、現場の判断が正しくて、ドライベントじゃ半径3キロじゃダメじゃん・・と、午前5時半に半径10キロに避難指示を広げ
午前6時半に大熊町から都路方面へ避難する予定と一報があり、午前7時に経産大臣が「手動によるベントの実施」を指示
菅が7時11分に来て、午前8時に吉田所長が、午前9時をベント目標と指示して、
午前8時半に大熊町に避難状況を確認したら、まだ避難が出来ていない・・・って言われて、すぐ福島県にどうなってんだって文句言って
午前9時にもう一度、大熊町の避難状況を確認して、避難完了だったから、午前9時4分に、原子炉建て屋2階に、弁を開けるために突入した
つまり、もしも菅が行かなくたって、1号機のベントなんか、出来なかった(^_^;