13/02/28 16:35:25.00 o6qX/UFo0
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李氏朝鮮時代の仏教弾圧
コリアでは、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。李朝の斥仏政策のもとで、
仏像の首が切り落とされたからである。それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。
寺をたずねようとしたら、山を奥深く分け入ってゆかねばならない。
李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。
儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。
仏教は目の敵とされた。李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年~18年)の治世になると、
仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、
寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。
その後も、仏教への弾圧と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。
四代目の国王の世宗(在位1418年~50年)は、全宗派を 禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、
他の寺を廃した。世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかっ た。
石窟庵と仏国寺
コリア・慶尚北道の慶州の町の郊外にある、大伽藍を持つ新羅時代創建の寺院。仏国寺はプルグクサ、
石窟庵はソックラムと読む。石窟庵は、仏国寺からさらに 9km 山中へ入ったところにあり、8世紀の
仏国寺改修の際に建立された。しかし建立後の、李氏朝鮮による仏教弾圧により人々から忘れ去られていった。
1900 年、がれきの中に埋もれていた石窟庵を発見したのは、山中で雨宿りをしようとした郵便配達夫であったという。
吐含山(トハムサン)の斜面をくりぬいた石窟 庵の窟室には、崇高な釈迦如来座像が安置されている。
(1番目と2番目の写真は仏教弾圧によって荒れ果てた仏国寺と石窟庵)