13/02/25 11:43:58.50 1JqawmXeP
土地バブル崩壊直後、まだしも成長率はプラスを維持していたころ、
日銀は引締を強化した
これがその後20年近く続くデフレ病の発端だ
この政策は、当時一部から「鬼平総裁」などと歓迎する向きもあったが、
金融界においてはこの時の日銀政策は、バブル崩壊から信用収縮を加速させ
ハードランディングさせ国際経済不安まで引き起こした失敗政策だと言う意見が主流となっている
ここから成長率はマイナスになりデフレが長期化して今に至るわけだが、当時の日銀のハードランディング批判が
増えた頃、日銀は「政府のインフレ圧力のせいで引締対応が遅れた」という言い訳をしていた
そこへ橋本内閣の日銀法改正があった
日銀は政府からも独立して金融政策を行えることになった
ここで決定的な勘違いが起きる
日銀のバブル崩壊対応批判は、土地バブル崩壊による信用収縮の際、さらなる引締をしてハードランディングさせた
ことであって(まあ政府は金融機関への公的資金注入などセーフティネットは張ったが)、バブルを起こさせたことを
非難されているわけではない
しかし日銀は、「二度とバブルは起こさない」というインフレファイター幻想に取り憑かれた
この文章を見れば明らか
URLリンク(www.boj.or.jp)
過去の各国の歴史を見ても、中央銀行の金融政策にはインフレ的な経済運営を求める圧力がかかりやすいことが
示されています。物価の安定が確保されなければ、経済全体が機能不全に陥ることにも繋がりかねません。
日銀は、自身のバブル崩壊のハードランディングという失敗について、たまたま得られた独立性という権力でごまかすために
インフレファイター絶対正義論に傾かざるを得なかった
日本国民にも、バブル崩壊の痛手から、「二度とバブルは起こさない」という考えがあるが、これは誤り
バブルは政策でどうこうしなくても崩壊する、その時どうソフトランディングさせるかが重要で、日銀はここを失敗した
国民はバブルによって痛手を被ったのではなく、バブル崩壊をハードランディングさせた日銀政策により痛手を被ったのだ