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一昨年3月11日の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市の復興
現場から1台の携帯電話が見つかった。持ち主は津波の犠牲になった同市職員、福田晃子
(こうこ)さん=当時(54)。大量の海水をかぶったはずの携帯電話は電源が入り、そこには当日
のメールが残されていた。「私は大丈夫、まだ揺れている」「大丈夫? 私たちは公園に避難中」。
震災から2年近い時間を経て家族の元に戻った遺品は多くのものを語りかけた。
◇
■電源が入った
福田さんの携帯電話は陸前高田市民会館の解体現場にあった。今月15日、作業員が1階
部分で見つけたと記者に手渡したものだ。
津波で多くの犠牲者を出した陸前高田市民会館。晃子さんの携帯電話は、建物の1階の
解体現場で見つかった=15日午後、岩手県陸前高田市
約2年ぶりに見つかった携帯電話と、遺品の携帯ストラップ。ストラップは長女の由貴さん(26)
が晃子さんにプレゼントしたもの=15日午後、岩手県陸前高田市
津波で亡くなった福田晃子さんの遺影
壊滅的被害を受けた同市中心部では、市役所や体育館などの解体作業が今も続いている。
市指定の避難先だった市民会館には大津波が襲い、多くの死傷者を出した。作業現場では、
今もカメラや腕時計などが見つかっている。晃子さんの携帯電話もその一つだった。
持ち主が分かれば、と電源コードをつないだ。多分だめだろう、という記者の予想と異なり、
電源が入った。通話履歴にあった「自宅」に電話すると、母、金沢雅子さん(78)が応対に出た。
「晃子は津波で亡くなりました。私の娘で『こうこ』と読みます」
URLリンク(photo.sankei.jp.msn.com)
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