13/02/18 11:38:54.63 Y63+mgRMO
まぁ、いじめや体罰の善悪論は置いといて無くす事の有無を問えば「無」である。
論点を挙げるならいじめや体罰が起きた時、話を聞いてくれる存在の有無である。そして、これは「有」である。
つまり、人は悲しい事があっても話を聞き理解してくれる存在が有れば救われ前に進めるのである。昨今の悲しい事件はこの話を聞く存在の欠如からくる事に他ならない。
俺は虐められていた頃、話を聞いてくれる存在が居ない方の経験者だが、最近彼女が出来てギリギリのところで救われた。