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誰も書かないので、あえて書く。
丸刈りに白シャツ姿で男性アイドルとの“お泊まり報道”を謝罪したAKB48の峯岸みなみの
動画(現在は投稿サイトから削除)を見て直観的に妙な違和感を覚えたのだ。
先週金曜日、静岡SBSラジオのレギュラー番組の中でも、そのことに触れ、
私は「実にサディスティックである。生え際の不自然に薄い部分に、まだ若い峯岸の強烈なストレスがある」とコメント。
「恋愛禁止がアイドルとしてのセールスポイントであったとしても、日本国憲法に違反している」と続け、
ここまで追い詰めた“芸能的コンセプト”に疑問を投げかけた。
反響は大きく、私宛てに賛否両論の多くのメールが来た。
シャーロット・ランプリングの映画「愛の嵐」やメリル・ストリープの米テレビドラマ
「ホロコースト-戦争と家族-」など、ユダヤ女性の困難と迫害、反撃をテーマにした作品は多い。
なぜ、それらをほうふつさせる映像を許したのか。イギリス、フランス、カナダなど各国のメディアも
丸刈り謝罪の奇異さについて相次いで報じたほどだ。
一昨年の大震災以降、日本経済の不振も重なり、日本国全体がギリシャ神話で言う
「タナトス」的な様相、つまり死のイメージを示していた中、AKBはまさにエンターテインメントの本道として、
平和的で明るさを表現してきた。だから、国民がこぞって支持したのだ。
集団としての迫力もさることながら、「一人一人のひたすら精いっぱいで健康的」な姿こそが
ポイントだったのだ。ミニスカートをひらひらさせ、踊り歌うAKBにタナトスは似合わない。
丸刈り騒動の少し前、スポーツ界では、暴力・鉄拳教育を絶対悪と決めつけた。
「自分でバリカンで切った」と峯岸が語ったところで、若い20歳の判断を相談したり、
止めたりできた存在がいたはずだ。たとえ合意であったとしても、「丸刈り」と「号泣」はサディズムの究極である。
あえて、パワハラ、セクハラとは言わないが、時代に逆行する弱い者いじめの感覚は強く残るのだ。(出版プロデューサー)
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