13/02/05 01:53:10.03 gSaDnkvz0
URLリンク(image.chosun.com)
*イム・ジヒョン漢陽大教授
(前略)
去年11月、意気込んで国立博物館で開かれた「第61回正倉院(日本王室の遺物倉庫)展」を見に行
った。人波に流されながらも派手なことこの上ない紫檀木琵琶や精密ながらも優雅な碁盤をはじめ各
種漆工芸、金属工芸品などに魂を奪われた。光明皇后が西暦756年に寄贈した物は、そのはるかな
歳月を勝ち抜いたこの遺品には感心した。
これらの宝物は唐と西域、ペルシャから来たものが大部分だった。時々韓半島から伝来したものもあ
る。国産品よりは輸入品がはるかに多い。訝しく思って調べてみると、千を越える日本の国宝には
「外国製」がかなり多い。陶磁器の場合、高麗のものもあるが南宋製品が圧倒的で、仏教関連彫刻
や絵には唐のものが多い。
その宝物を作り、運び、消費し、鑑賞した人々がすべて色々な国にまたがる事実から、人類の遺産で
あるわけだ。ところで国宝に登録される瞬間、この国籍を超越した文化遺産は日本の民族文化に化
ける「魔術」が起きる。博物館が民族文化の産室として作動する方式だ。
博物館だけではない。純日本産の蚕室で正倉院のシルクを復元したと感心する日本の新聞の論調
や「私たちの正倉院」という小・中学生を対象とした作文大会は王家が輸入したその外国製名品を千
数百年の歳月を越えた民族文化と飾り立てる。代わりに南宋と唐、高麗の職人やペルシャの商人は
こっそりと消える。民族文化はこのように他者を排除するイデオロギーである。
友愛を強調する鳩山政権の登場は明らかに政治的に韓日間の民族的葛藤や対立を緩和するのに
寄与するだろう。しかし国境越しに隣を他者化する民族文化のイデオロギーが両国の市民社会を支
配する限り、政治的和解は火の前の氷だ。東アジア共同体はもっと蜃気楼だ。
ソース:朝鮮日報(韓国語) [朝の論壇]光化門と日正倉院で見た'民族文化'
URLリンク(news.chosun.com)