13/01/31 02:14:21.98 yiZu4FT70
>>623 続き。
- 韓国と縁を結んだ久しい。
"1970年の記者になったし、1979年、朴正煕大統領の逝去直前防衛庁長官に同行して初めて韓国を訪問した。
板門店で北朝鮮が版 "第3トンネル"を見て緊張感の中、日本は平和だと思った。
一方で、その平和は多くの犠牲の上に維持されているという点を実感した。
翌1980年には自民党議員たちと一緒に北朝鮮を訪問する機会があった。その時も北から板門店には正反対の緊張を感じた。
両方の経験をして、韓半島問題は私の運命という気がした。
留学を決心し、1981年9月にソウルで行った。
翌年に日本の歴史教科書問題に多大な反日雰囲気ができた。その中で、日本を考えており、韓国を考えた。
その時から今日まで30年以上の歳月が流れた。
43年間の新聞記者生活で4分の3は何らかの形で、韓半島と縁を結んできた。 "
- 両国とも大きく変わった。
"韓国は大きな変化があった。私は最初、ソウルに行った時は軍事独裁時代だったが、その後民主化を成し遂げ、
同時に非常に速い速度で経済が発展し、社会も発展して今日に至っている。
日韓間でも最近10余年、新しいサッカー・ワールドカップを共同開催し、日本に大きな韓流ブームが起こるなど、
30年前には考えもしなかった変化が現れた。
まだいくつかの問題があるが、国民の間に良くなったという点を実感している。
日本は私が最初に入社した時には過激な学生運動が続き、騒々しかった。
同時に、高度成長期の中に公害など多くの問題があったが、社会に活力があった。今は非常に静かな社会になった。
高度成長も、過激派も消えた。社会は平穏になったん活力が落ちた。
逆に、中国と韓国は活力がみなぎっている。それが一番大きな変化だ。
日本の未来も心配だ。夢が消えたような感じだ。日本の良さを自覚してもっと努力しなければならない。 "