13/01/21 19:48:16.58 Pqh5QHMI0
20年ぐらい昔。日本看護協会だったかのセミナーで井先生という人の話を聞いた。
医者になって最初の職場が救急医療で必死になって人を助けようと頑張っていたが
何が何でも助けるんだと頑張っていた。大怪我ともなれば尚更のこと。
しかし先輩の医師が時々。それをせずに放置してそのまま死亡させていた。
それがどうしても納得行かず。ある時思い切って正面から聞いた。
そしたらその医師は黙ってある病室に自分を連れて行った。
そこには50体ぐらいの植物人間がベッドで寝かされている病室だった。
その医師が一言 「俺の作品さ・・・」
井先生は。配置転換を求めて高齢者だったかの部門に移った。
無駄な延命は患者を苦しめるだけ。だから延命治療はしない。
そうスタッフと申し合わせていても気がついたらやっている自分がいる。
処方している自分がいる。本人曰く これは医師の本能みたいなものだと。
頭でわかっていてもどうしてもやってしまう。何がなんだかわからなくなり
その後。深刻なノイローゼになって働けなくなり地方の過疎地の診療所の医者になった。
そこで小さな子どもからお年寄りまでオールラウンドで診察するうちにひとつの結論を得た。
口からものが食べれなくなった時がその時だと。
ブドウ糖の点滴の量を段階を追って減らしていく。
患者本人は空腹も喉の渇きも苦痛も感じずに木が枯れるように亡くなる。
これで良いと思っていたら その後に会った遺族との話で一つの過ちに気付いた。
井先生は処置をする前に家族の納得を得るために事前に意思確認をしていた。
しかし数年経っても家族は罪の意識にさいなまれていた。
良かれと思ってやっていたが かえって負担を掛けていた。
それからは どうしますか?こうしますか?ではなく
こういう状況なので私の責任でこうします。よろしいですね?と意思確認の方法を変えた。
結局。自分が悪者になって全ての責任を受け止めるのが医師なのですと。