13/01/18 19:11:41.30 CO9uphlI0
汪兆銘は戦時中(昭和19年(1944年))に病死したが、汪兆銘政権を支えた陳公博などの
要人 52 名は銃殺され、さらに、親日派ゆえに漢奸とされた約 4 万人が処刑や処罰を
受け、処刑された者には墓を建てることも禁止された。
国民党による漢奸裁判で断罪された汪兆銘の妻、陳璧君には罪を認めれば
減刑するという司法取引が示されたが陳はこれを拒否、法廷において
「日本に通じたことが漢奸というなら、国民党はアメリカと、共産党はソ連と
通謀したではないか。
我々の志は間違っていたのではない。
単に日本が負けたから、こうなっただけだ」と陳述を行い、終身刑を受け獄死した[26]。
魯迅の弟で著名な文学者周作人は、日本軍の北京占拠時も北京に留まって文学活動を
続けたがために漢奸として裁判にかけられた(後に釈放)。
この様に、日本軍の占拠した地域に留まって活動を続けたり、公的役職に留まっていた
(中国側からは偽職とよばれる)ために戦後漢奸のレッテルを貼られた公務員、文学者、
芸術家、学者なども多い。
矢吹晋によれば江沢民は資産家の出身であり、その一族は日本軍の占領下に
留まったことから日本軍に協力した漢奸と見なされることを危惧し、
そのため「反日ポーズ」を取る必要があったとしている[27]。
台湾の李登輝元総統は2007年(平成19年)の靖国神社参拝により、
反日感情に煽られた中国のネットユーザーから「李氏は漢奸だ」、
「李氏は必ず地獄に落ちる」、「李氏は日本人にへつらっている」など過激なコメントが
見られた。