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サンフランシスコ講和条約の草案では沖縄・尖閣は日本領ではなく、元々は明治政府が占領した地。
SCAPIN - Wikipedia
連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号 1946年1月29日
日本の範囲から除かれる地域として
(a)欝陵島、竹島、済州島。
(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。
(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。
沖縄の歴史から考える
沖縄は、明治維新後の1879年に強制的に日本に組み込まれるまで500年間、中国の王朝帝国に従属する「琉球王国」であった。
明治維新で日本が開国し、台湾や南洋、中国に向かって支配を広げる意志を持つようになると
その第一歩として1879年、沖縄を日本帝国の版図に組み入れるため、琉球王朝を廃止し沖縄県を設置する命令を下した。
これは「琉球処分」と呼ばれ、1609年の薩摩軍による侵略、「本土防衛」のために沖縄が「捨て石」にされた太平洋戦争末期の沖縄戦、
沖縄だけを本土から切り離し「基地問題」を固定化した戦後のサンフランシスコ条約と
ともに日本(ヤマト)が沖縄に行った数々のひどいことの一つに数えられ、沖縄の被害者意識を補強する材料となっている。
「琉球処分」に対して、清国は強く抗議した。
琉球王国の遺臣たちの中にも、清国から援軍を得て日本を追い払おうと考える人々がいた。
だが、清国は、その後の日清戦争で日本に負け、沖縄どころかその先の台湾まで日本に奪われ、琉球を助けることはなかった。
とはいえ清国の側には、日本が武力を盾に琉球を囲い込んだことを認めない意識も強かった。
尖閣諸島問題もまた、こうした歴史の延長にある。
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