13/01/17 23:47:57.21 EeZs8pzA0
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国立国会図書館で戦時中に三笠宮崇仁が書いた軍部批判の論文「支那事変に対する日本人としての内省(幕僚用)」が見つかったことにより、
「THIS IS 読売」(1994年4月号)において、崇仁へのロングインタビュー、論文の全文掲載、研究者による解説など崇仁の特集が組まれた。
南京事件に対する質問に対し昭和天皇の弟、三笠宮殿下は次のように答えている。
「(質問者) 最近また南京大虐殺について、閣僚の発言が問題になりましたが、
同じような問題が何回も繰り返し問題になるのは困ったことだと思います。
三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止めておられますか。
三笠宮 最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。
私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から
「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。
それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。
また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。
それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。
ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。」(54-56頁)
として、人数の問題にとらわれず南京事件そのものを認める発言をしている。
また、ロングインタビューでは15年戦争期全般についても語っており、軍紀風紀の乱れ、
捕虜の虐待・虐殺、占領地での虐殺などの原因について国際連盟脱退を指摘している。
「そして全世界を敵に回すことになったのです。それから日本軍(人?)の心の中から
「国際法」を守らなければならないという気持ちが消え失せたのではないでしょうか。」(57-58頁)