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アホ以外には解りやすい尖閣問題
尖閣問題時系列
明(1368~1644年)
『順風相送』(1403年)『使琉球録』(1562年)尖閣の記録有り
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清(1644~1912年)
当時の清の皇帝であった乾隆帝の命令で編纂された『大清一統志』(1743年)において『「北至鶏籠城」「鶏籠城界」』
(現基隆市)と、台湾の北東端に尖閣は含まれておらず、古来より台湾付属島嶼という中国側の主張と矛盾する
※他にも尖閣の名称が出てくる史料が存在するが、明確に当事国が領域をあらわすものは
上記のみ。
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中華民国(1912年~現在)
日本政府が東沙島を台湾(当時日本領)に編入しようとした際、当時の中華民国政府は公式抗議(1909年)を
行っており、中国側の「領土問題で抗議が出来なかった」という主張と矛盾する。
1920年、中華民国駐長崎領事馮冕より、魚釣島に漂着した遭難者を石垣村の住人が救助した事への
感謝状において「日本帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島」と記載
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中華人民共和国(1949年~現在)
1953年1月8日付の中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』が尖閣を沖縄県に属すると記載
1958年、北京の地図出版社の地図『世界地図集』において尖閣諸島を日本領と記載
1965年、中華民国国防研究院発行の『世界地図集第1冊東亜諸国』で尖閣諸島を日本領と記載
1969年、尖閣諸島沖に海底油田がある事が判明
1971年、中華人民共和国が尖閣諸島の領有を主張
以上のように、そもそも中国の根拠は400年以上も前の文献と地図のみである。
続く