13/01/16 18:02:41.47 Q4IxXKcQ0
>>71
そのリンク先の最初に引用されている『季刊 人間と教育』第7号、労働旬報社の文章は、下記に全文がある。
きちんと現地取材して、聴き取り調査した渾身のルポだけど、すごい内容だよ。
〈聞き取り事例・1〉(79−80)
近所の主婦のAさんは、児玉さんとは面識がない。
だが、「かあちゃんたちの間柄(うちら)」のなかで、「児玉さん」をリアルに体験している。
Aさんは言う。「かならずしも、やった子どもたちが悪いとは言い切れない。親も金持ちぶって成金上がりだそうだ。
金貸しをしていて、人からよく思われていない。
自分たちだけ金で家族をハワイに行かせて、おみやげも買ってこない。
幼稚園を改修した後、子どもたちの姿ではなくて、直したところのビデオばかり親に見せた。
オレはこんなふうに大きくしているんだ、って感じが前面に出ている。
言葉にしても、東京出身でもないくせに標準語を話すなんて『いいふり』としか思えない」。
実際には児玉さんは、金貸しでも成金でもない。問題のビデオは、改修の説明会のビデオである。
だが、「かあちゃん」たちは、あらゆる素材をつかまえては、このように体験しようと身構えている。
この構造は子どもたちの間にもある。有平君も兄のC君も家族がタクシーで外出するのを子どもたちに監視されていた。
あとでしつこく、どこに行ったのかと問いつめられ、喋らされた。有平君が「フランス料理を食べに行った」と答えると、
妬む子どもたちはその言葉を、「おまえらには食えないだろう」というふうにリアルに体験する。
それが、「児玉のうちの憎たらしいガキが言ったこと」として流布される。
Aさんは「こんなわけで児玉の子どもが殺された」とオチをつけて語るとき、声を出して笑う。
URLリンク(web.archive.org)
Aさんは「こんなわけで児玉の子どもが殺された」とオチをつけて語るとき、声を出して笑う。
Aさんは「こんなわけで児玉の子どもが殺された」とオチをつけて語るとき、声を出して笑う。