13/01/16 07:43:40.04 sr/D4NOO0
続き
独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ「日本からに決まっているだろう」と答える。
しかし、そこで「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。韓国併合は1910年だし、光復(独立)は1945年だろう。
それ以前の話なんだよ」と言うと、彼らは絶句し思考停止してしまう。
先程「つらい国」という言葉を使った。侵略を受けながらそれを「恩」と呼び、その「恩」をもたらした野蛮な国の皇帝に、代変わりのたびにすべての朝鮮国王は「土下座」しなければならなかったのだから。
当然、侵略は「政治」だけではなく「文化」の面にも及ぶ。
たとえば、唐軍を何度も撃退した高句麗の淵蓋蘇文(えんがいそぶん)は、日本の史料には「いりかすみ(伊梨桐須彌)」と記されている。
当時の発音ではそうなるらしい。日本語と韓国語は同じ系統の言葉だが、中国語とは音韻も文法もまったく違う。
だから、新羅が中国一辺倒路線を取るまでは「金○○」のような中国式名ではなく、民族のオリジナルの名前があったはず、ところがこれは今一切消えている。
つまり、中国式に「創氏改名」を国民に強制したということだろう。
続く