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【社説】瀬戸際に立たされる憲法 年のはじめに考える
太平洋戦争の敗戦から六十八年。日本の近現代史では過去になく、戦争をしない日々が続きます。年の初めに「平和だったはず」の戦後を振り返ります。
一九五〇(昭和二十五)年十月九日、東京新聞夕刊の一面トップは「米軍38度線を突破」の見出しで朝鮮戦争の戦況を伝えています。
同じ面に「日警備艇も掃海へ」のベタ記事があります。
「日本の沿岸警備艇十二隻が米第七艦隊の指揮下で掃海作業に従事するため朝鮮水域に向け出発した」と短く報じています。
■戦後にあった「戦死」
日本を占領していた米軍は日本政府に対し、日本近海で機雷除去をしていた航路啓開隊(現海上自衛隊)の朝鮮戦争への派遣を求めました。
同年十月から十二月まで掃海艇四十六隻と旧海軍軍人千二百人による日本特別掃海隊が朝鮮海峡へ送り込まれたのです。
戦争放棄を定めた憲法は施行されていました。戦争中の機雷除去は戦闘行為ですが、
国際的地位を高めようとした吉田茂首相の決断で憲法の枠を踏み越えたのです。
まもなく事故が起こりました。掃海艇一隻が触雷し、沈没。中谷坂太郎さん=当時(21)=が行方不明となり、十八人が重軽傷を負ったのです。
事故は長い間伏せられ、中谷さんに戦没者勲章が贈られたのは約三十年後のことでした。
犠牲者が一人であろうが、家族の悲しみに変わりはありません。葬儀で中谷さんの父親はひと言もしゃべらず、葬儀の半年後、五十歳代の若さで亡くなりました。
朝鮮戦争に参加したのは旧軍人だけではありません。物資輸送に日本の船員が動員されたのです。八千人が日本を離れて活動し、
戦争開始からの半年間で触雷などで五十六人が死亡したとされています(「朝鮮戦争と日本の関わり-忘れ去られた海上輸送」石丸安蔵防衛研究所戦史部所員)。
(続く)
中日新聞 2013年1月7日
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