13/01/11 00:11:39.71 I4OJsdha0
武田先生のとこから転載
・・・・・・・・・水俣病の経緯・・・・・・・・・
・最初に魚が原因であることが確定したのに、原因物質が分からないことを理由に漁獲制限を行わなかった。
・工場排水を飲ませた猫が発病したにもかかわらず、原因物質が分からないことを理由に排水規制を何も行わなかった。
・早期に有機水銀中毒が疑われたのに、多くの学者が否定のための様々な説を出し、対策をとらないように妨害した。
・工場排水が原因と疑われる様々な情報を工場が隠蔽した(ここだけ武田の見方は少し違います。工場は法令を正しく守っていたと考えられます)。
・食品衛生調査会水俣食中毒特別部会が有機水銀説を発表したら、翌日には解散させられ、池田通産大臣が閣議でこの説を否定した。
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・水俣の魚を誰も買わなくなったことで、何の補償も受けていない漁民の生活が追い詰められ、食べてはいけないと知っていながら、漁民たちは魚を食べ続けた。
・周囲の人々が、水俣の悪評を恐れて、被害者を偽患者扱いした。
・患者の家族は、縁談などへの影響を恐れ、患者を隠した。
・天草や出水でも患者が発生していたのに、患者の発生を否定、隠した。
・多くの県外へ移住した人々が、水俣出身であることを隠した。
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・患者認定は、重症患者を基準としたため、重症患者以外が認定されなかった。(微量影響の研究をしないため、軽症者は因果関係が立証できない)
・国やマスコミが、何回も水俣病の全面解決を演出した。
・新潟では、水俣のデータにより毛髪中水銀量を基準に出産制限が行われたため、重症の胎児性水俣病患者が発生しなかった。
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