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シンガポールの初期の時代には
日本人の桜主達は邦人社会の有力者として羽振りをきかせていた。
彼らは一面では雑貨商などの「正業」を有しながら
裏の商売として娼桜を経営していた。
例えばマレーシアのイポーの町には長崎市出身の
山田豊三郎という人物がいたが
美術雑貨を扱う旭商会と三笠写真館を経営しながら
陰で最盛期に13軒の妓桜を有し100人の女性を抱えていた
単にシンガポールに限らず、南洋の各地において
大正の初め頃までは、在留邦人の統計を取ると
女子人口の方が男子人口を上回る状態が続いていた
売春婦輸出のノウハウは日本のほうが先輩ニダ