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ターザン山本のコラム
●格なき成功者になぜ格差社会という言われ方を、我々はされなければならないのか?
格差社会という言葉が今や流行語を通り越して、普通名詞になっている。
誰もが平気でそれを受け入れてしまったからだ。
私からすると冗談ではない。ふざけるなと言いたい。
格という字は一般的に「格調が高い」など、身分とか地位をあらわす。
人格、風格、資格、価値などの言葉を見ればわかるはず。
今、日本で成功している人間は、ほとんどがITやインターネットなど、
従来にはなかった新しいシステムを先取りした人々である。
彼らの特徴は勤労とか労働という概念から自由な人種。
主にアイデアをビジネスにしているのだ。
作物を作る農業。製品を作る工業。それら物作りの産業とは正反対の所にいる人たちが、大儲けをしている世の中なのだ。
ただ成功は成功である。それは素直に私も認める。
しかしその成功者たちを尊敬できる? リスペクトできる? できないでしょう。そんなもの。
あるいはうらやましいと思う。思わないでしょう。あんなもの。
だからそんな人たちの成功に「格」という言葉を使って欲しくない。使うなである。
使用用禁止だ。格の違いはあっていいのだ。そこに尊敬できるという気持ちがあるなら「格差」は認める。
格差の下に社会を付けるな。それは余計だ。
格なき成功者になぜ格差社会という言われ方を、我々はされなければならないのか?
いい加減にしろである。彼らは「格無し族」である。だからさあ、格差社会に反対している人たちも、考え方が甘い。
思考能力が徹底していない。中途半端だ。それでは勝てない。
普通に考えても人格や風格に差が出来た社会と言える? おかしいでしょう。