12/11/27 08:25:56.48 u3dCLoOH0
【山岡賢次ってだれ?】
彼の通名は「金子賢二」である。 昭和18年4月25日生まれで、
安田生命の保険外交員の時に山岡邸に出入りしはじめ、
世間慣れしていない山岡荘八夫人の歓心を買い、言葉巧みに秘書に潜り込んだ。
そしていつの間にか一人娘の長女・秀江にいいより、やがて結婚に成功する。
成りすまし在日のパターン通り、養子縁組。
山岡荘八の本名、藤野姓を名乗り「藤野賢二」となるが、
ほどなく「藤野賢次」と改名。これにて「金子賢二」は完全に消滅。
山岡荘八は、名作「徳川家康(26巻)」の完結は昭和42年であったが、
晩年は健康が優れず昭和53年9月に逝去。
それを待ち受けたかのように、今度は「藤野賢次」を「山岡賢次」に変え、
自分が山岡荘八の血のつながった息子のように装って、参院選挙に打って出た。