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★天声人語
いまの時代なら誰にたとえられるか、斎藤緑雨(りょくう)は明治時代に毒舌の評論で鳴らした。
簡潔な警句の数々は切れ味抜群、〈涙ばかり貴(とうと)きは無しとかや。
されど欠(あく)びしたる時にも出(い)づるものなり〉というのもあってニヤリとさせられる
▼鳩山由紀夫元首相が引退するとの報道に、緑雨の警句の一つが胸に浮かんだ。〈無邪気は愛すべく、無責任は憎むべし。
されども無邪気は、無責任の一種なり〉。1世紀も前の言葉だが、鳩山さんのこのかたの言動を突くような冴(さ)えがある
▼不信を決定づけた普天間問題の独り相撲も、「よかれと思って」やった結果だった。首相を辞めたときは引退を表明したのに撤回した。
あれやこれや、どこか宇宙人的な「無邪気」が抜けきらずに、政治をかき回すことが目立っていた
▼タカ派的な主張が幅を利かせる今、友愛を説く鳩山流の理想主義は貴重だ。
リベラルの灯台であってほしいのだが、民主迷走の象徴になってしまった。そしてまた、お騒がせの引退である
▼鳩山さんの顔が大きく刷られたマニフェストは総崩れの状態になり、次を問う政権公約が各党から出始めた。
今の多党乱立を見れば、「鳩山版」は2大政党時代の懐かしい記念品になるかもしれない
▼〈正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。決して遂行すべきものにあらず〉。
緑雨の反語的皮肉は、「正義」を「公約」に置き換えれば各党への牽制(けんせい)となろう。ひとりの政治家を見送りつつ、よく吟味したい。
asahi.com 2012年11月22日(木)付
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