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高橋是清
不景気の中、浜口総理の緊縮財政で日本経済はどん底状態になった。
解散して犬養毅内閣が発足した。犬養は、高橋是清に大蔵大臣就任を懇請した。三顧の礼
高橋は矢継ぎ早に、デフレ対策を行った。積極財政に転換し、
その財源を国債で賄った。さらにこの国債を日銀に引受けさせることによって金利の上昇を抑えた。実に巧みな経済運営である
32年、列強各国はこの時分まだ恐慌のまっただ中であり、日本だけが恐慌からの脱出に成功したのである。
1932年に国債の日銀を引受けを始めたが、物価の上昇は、年率3~4%にとどまっている。1936年までに日銀券の発行量は40%増えたが
工業生産高は2.3倍に拡大した。
そしてこの間不良債権の処理も進んだのである。