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自分がいないときは、発言や暴行を記録した「報告メモ」を提出させた。
納得のいかない発言を見つけると「なんで、たたいてへんのや」と追い込んだ。
11年6月末、親戚を頼って東京へ逃げていた裕美の母和子が連れ戻された。
全員が外出を禁じられ、食事と水、トイレさえも制限されるようになった。
汚物の臭いが漂う中、暴力が和子に集中する。
川村はその理由を「すぐに居眠りをして会議が進まなくなったから」と法廷で述べている。
9月11日ごろ、和子が死亡する。66歳だった。
解剖結果によると、喉の骨と肋骨(ろっこつ)3本が折れていた。
9月16日、川村は美代子の片腕の李正則(38)とともにドラム缶とセメントを買い、 近くの倉庫で和子を詰めて遺棄する。
11月、裕美の姉香愛が2階にあったワンルームの窓から飛び降り、脱出。
大阪市内のホテルに2泊し、交番に駆け込む。「母が死んだ。次は私が殺される」。
11月3日のことだ。
香愛の逃亡で事件の発覚を恐れたのだろうか。美代子はすぐに川村に遺書を書かせている。
「和子の遺体処理は全部私がやりました。遺体を詰めたドラム缶は尼崎港に捨てました。
私の資産管理は角田さんにお願いします」
自殺するしかない。11月4日夜、川村と裕美は気持ちを固め、 尼崎市内の駐車場に止めた車の中にいた。
そこへ、行方を追っていた兵庫県警の捜査員が急行、身柄を確保した。
裕美は耳が欠け、唇はえぐれていた。話しかけても、放心したように無表情だったという。
「あと1日遅れていたら川村と裕美は自殺し、事態は美代子の思う通りに運んだかもしれない」。
捜査幹部が言った。
川村は法廷で、声を震わせながら事件について証言した。 だが「美代子から受けた恩は大きかった」とも述べている。
長女はマンションに現れた捜査員を見て「いやだ、いやだ」と叫んだという。 裕美と香愛も県警の調べに対し、美代子を崇拝するような心情を口にしたという。
2人の子どもは今、児童相談所に保護されている。