12/10/09 21:32:51.13 73tuPNdN0
★★中国外交なんてこんなもの ▲言い逃れできない▲ 戦後中国外交史★★
◆1945年、日本に原爆が投下されたことを見た毛沢東は「中国核武装」を決意。核
実験に成功したソ連を牽制するために、台湾海峡危機を演出。中国への「核使用」を
示唆した米大統領発言を利用して、ソ連から核兵器を脅し取る。(※1)
◆1945年、独立を宣言したベトナムに対し、仏・米が干渉。「北緯17度線でベトナム
を南北に分割する」というジュネーブ協定(1954年・米国提案)にベトナムは猛反発
するが、朝鮮戦争で米国に弱みを握られた中国は、ベトナムを守ろうとはせず、逆
に南北分断をホーチミンに説得する側に回った。(※2)
◆1954年、インド・中国間の「平和五原則」の発表は当時の国際世論からは歓迎
されたが、その5年後、毛沢東はインド侵攻を企てる。(※3)
◆1955年のバンドン会議(インドネシア)で「平和共存・民族自決」など、歴史的な宣
言に参加した中国がその10年後、親中派のインドネシア共産党を煽動し、軍事クー
デターを計画。インドネシアとは外交関係断絶に追い込まれる。(※4)
◆1978年、日中平和友好条約締結の翌年、「ベトナム懲罰戦争」を発動。侵攻の一
週間前に東京・ワシントンを訪問した鄧小平は、「これからベトナムに侵攻するが、
中国には経済制裁をするな」と要請。園田直外相、抗議せず。(※5)
◆1979年、カンボジアに毛沢東の手先「ポルポト派」を育成し、ベトナム南部を攻撃
させ、応戦したベトナム軍が「国境線を越えた」事を理由にして、国連総会で「ベトナ
ム非難決議案」をアメリカと共同提案。ベトナム孤立化政策を10年間実行した。(※6)
※1(参考)URLリンク(shop.kodansha.jp)
※2(参考)URLリンク(homepage1.nifty.com)
URLリンク(www.7netshopping.jp)
※3(参考)URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
※4(参考)URLリンク(tamutamu2011.kuronowish.com)
※5(参考)
※6(参考)URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)